社会を守るのはルール?それとも自由?
☆冥王星・山羊座から水瓶座の時代へ
夜空に広がる 大宇宙は、私たちの心の中にある 小宇宙でもあった・・・
地球から遠く離れた天体ほど、人間の無意識の底にあるのだと考えられますね。
占星術においては、冥王星が一番遠い惑星になります。
冥王星は、人類共通の 集合的無意識を示し、今の時代の人類に与えられた課題が秘められていると考えられます。
だから冥王星の星座が変わる時、前の星座の影響を 一旦壊して、新しい星座の性質へと シフトチェンジしていくのでしょう。
現実的には、古い時代の常識や概念が壊されるような出来事が続くのだと思います。
その時が、まさに今です。
冥王星が山羊座の位置から、水瓶座に変わろうとしているタイミングだからです。
太陽の周りをまわり続ける 惑星の進む方向は 常に同じですが、地球から見た場合は、反対方向に進む時もあり、これを逆行といいます。
冥王星は、この数年間、山羊座と水瓶座を 行ったり来たりしていました。実際に社会は、大きく揺れており、古い時代の問題点が浮き彫りになり、多くの人が何が間違えていたかに気が付いてきました。
そして今は、最後の逆行中。これから本格的に水瓶座に移っていくのです。だから地の時代から風の時代に変わるといわれているわけですね。
ホロスコープ上には12の星座がありますが、すぐ真横の 星座同士は、性質が全く異なります。
これは冥王星のように影響力が大きい星が動く時は、大きく時代が動くことを意味します。だから根底からひっくり返るような、劇的な変化が起こるのでしょう。
冥王星の場合は、数年間ゆっくりと時間をかけて変革をもたらしていく特徴もあります。
これを知るだけで、今の現実に起きていることの意味もわかりますね?
あたふたするのは、古い時代にしがみつこうとしている人だけです。変化を望んでいる人にとっては、目の前の困難も、より良い時代が来る前の 前兆に過ぎないと捉えられますね。
さて今回は、山羊座から水瓶座に変わっていくというのがポイントです。
人間が生きていく為には、社会が必要。
そして、考え方の違う、たくさんの人をまとめる為にはルールが大切。
山羊座の時代は、ルールや法が重視されていました。だから山羊座の時代を生きてきた私たちの生命には、「こうしなくては」「こうであらねば」という義務感が強く根付いていたのです。そう教育されてきましたから。
集団の中では、個性を発揮する以上に、規律を守り、平均的に色々な事ができる能力が望まれていました。
これが今の時代の子供達には、窮屈に感じて当たり前といえますね。生命の性質が違うのですから。
本来ルールとは、多くの人々が生きやすくするために必要なものです。
ところが、どんな星座の性質でも、次第に悪い面が表に出てきます。時代の終わりは末期のような状態です。
山羊座には、社会という大きなテーマ性がある為、地位や名誉、権力というものに価値を感じる傾向もあります。
そして一部の権力者が、自分たちの立場を守るために、法で民衆を縛るという形になりがちです。
民衆のためのルールではなく、一部の権力者の私欲のためにルールが使われるようになるのです。
でも、時代は変わります。いつまでもこの流れが続くわけではありません。
これまでの古い価値観にしがみついている人が、何かが壊れていくと感じるだけであり、
新しい未来を見据えた人は、希望を感じていいはずです。
ただし、この未来の希望の形が見えないことが、不安なのかもしれませんね。
見えるはずはないのです。未来は想像を超えてくると、自分たちが考えている以上に「良く変わっていくのだ」と、期待する心を持っていいと思います。
もちろん何もしなければ 未来は変わりません。自分が主体に「変えていく」というスタンスは必要ですね。
ヒントは水瓶座にあります。
水瓶座は、何かに縛られるのが嫌いで、自由に生きたいというエネルギーがあります。
この言葉だけで、山羊座の性質が合わないことがわかりますね。
だから水瓶座には「革命」というキーワードがあります。社会を 常識を、大きく変えてしまう力です。
ところが、怒りなどの感情に任せて何かを変えてしまうようなエネルギーとは違います。
水瓶座には、社会から離れたところにそっと身を引き、客観的に状況を「観察」するという側面もあります。
そして自由な発想で、これまでになかった新しい何かを生み出していくのでしょう。
もちろん、どんな星座にも良い面と悪い面があります。
これまで プレ 水瓶座の時代をなん度も経験しており、その悪い側面も見えてきました。
水瓶座のエネルギーは、技術的革新をもたらします。その典型がインターネットや携帯電話の普及です。
これによりコミュニケーションスタイルが大きく変わりました。
AIの登場も、典型的な水瓶座の性質といえるでしょう。間違えなく発展していく分野です。
しかし、匿名という姿の見えないコミュニケーションを 捉え間違えした問題も目立っています。
自由の捉え違いも。自由とは何をしてもいいという事ではないはずです。
これはどんな星座にもいえることですが、個々の性質だけを尊重してもいけないのだと思います。
時代が変わっても、国などの場所が違っても、決して変わらぬ普遍の真実があるということ。
すべては、真実に近づくための 学びのプロセスでしかないのだから。
では、この普遍の真実とは何か?
それこそが、「人としての道」ということなのだと思います。
この道を踏み外し、自由だから何をしてもいいのだと、他者が不幸になる行為を行えば、これは悪業を積むだけの話です。
自分の欲のために、都合よく法を利用したら、多くの人を傷つけます。
素性がわからないからと、隠れて他者を攻撃していたら、深く人の心を傷つけます。
人としての道は、法律や憲法など、人のつくったルールにも関係ない、
人の心の中に本来備わっているはずの、道徳心ともいえるでしょう。
誰から教わることなく、例え何も知らぬ小さな子供でさえ、人間として生まれた以上、わかっていることのはず。
それが、心が汚れ、煙に巻かれ、見失っていくのです。
その未熟な自分を正していくために、人生には様々な学びのプロセスがあり、
また時代ごとの学びのテーマというものが、与えられているのかも しれませんね。