過去世のカルマから逃げずに希望の未来を掴むには

過去世のカルマから逃げずに希望の未来を掴むには

月のノード再考察(前編)

人は誰でも、幾代もの過去世の人生を生き、
時には心に大きな傷を負い、その時の忘れ得ぬ深い感情は、
今の私の、無意識の心の中に強く残っています。

過去世からの業とは、何か大切な課題を「乗り越えていない証」なので、
今世でも同じような失敗を繰り返し、
感情が大きく揺さぶられる試練や困難となって現れるかもしれません。

人は、何か初めての出来事に直面した時、全く経験したことのない反応など できるわけがなく、
過去世で慣れ親しんだ、思考パターン・行動パターンを取ってしまうからです。
結果として、人生のパターンすらも、過去世と同じようになってしまうのでしょう。

私たちが過去世からの業に直面する前・・・
無意識の自分は、いよいよその時が来るのだとわかっているので、
意識の自分にとっては、意味のわからぬ、理由のわからぬ、不安や恐れに心が包まれます。

自分を守ろうとする心が、無意識に他人や状況をコントロールしてしまい、
結局、自らの行いで、業の試練を起こしてしまうのです。

こうした 業に直面するタイミングや、その内容は、
占星術のソウルリーディングで読み解いていくことができます。

しかし、自分で知らない「自分の業」を読み解くことは、怖いと感じる人もいるでしょう。
なぜなら、過去世で受けた 強烈な感情が、無意識の中には強く残っているので、
その時の感情が、自分でも意識していないようで、自然と溢れ出てくるからです。

もう一つ、解釈の問題もあると思います。
現在主流となっている解釈では、課題の根本的な解決には至らないと見ています。
それをなんとなく感じる人は、絶望感を持ってしまったり、拒否したくなる気持ちが生まれてしまうかもしれません。

私も以前は違和感を感じていた一人です。
でも、解釈の問題だけだと 理解した時、大きな希望に変わりました。
ここを、今回改めて、深く考察していきたいと思います。

月のノードとは、地球から見た時の、
太陽の軌道である 黄道と、月の軌道である 白道の交点のこと。

2つあるノードは、180度反対に位置し、
実際に星があるわけではない 計算上のポイントですが、
日食や月食が起きる場所でもあることから、昔の人々にも、何か重要な意味があるポイントとして印象強く思われていたはずです。

ドラゴンヘッド・ドラゴンテイルという別名は、巨大な龍が星を食べるというイメージから、
龍の頭と尻尾に例えられて、名付けられたといいます。

月のノードの解釈は、根本となる思想により、時代によって変化していますが、
現代的な解釈の基盤は、18世紀に誕生した、近代神智学にあるようです。

近代神智学は、創造神が世界を創ったと信じられていた 伝統的な西洋思想と訣別し、東洋のインド思想などと融合した哲学思想体系です。

ここでは、輪廻転生やカルマの概念が取り込まれました。
人間の魂は、輪廻を繰り返し、連続していくものとし、過去世から現世、そして未来世へという 流れとして捉えられるようになったのです。

ここで、太陽の象徴をスピリット、つまり精神や目的意識を表すとされます。
月の象徴はソウル、過去世からの記憶が魂に宿っていることを表します。

だから一般的な占星術の解釈では、ドラゴンテイルに過去世からのカルマが示されていて、
ドラゴンヘッドに今世の目標や、未来のテーマが象徴されていると読むのです。

まず注目するべきポイントは、魂、つまりソウルには、「繰り返し」という意味が込められています。
過去世での経験は、魂に刻まれ、同じような失敗を繰り返してきたことが読み取れます。

これは、今世でもカルマの課題を 克服しない限り、同じ失敗をしたまま、課題を未来世に持ち越す人が多いことを示唆していると思います。

どんな思想にも、その思想が生まれ、人々に信じられてきた理由があるはずです。

ドラゴンヘッドには、今世の目標が示されているとはいえ、目標はあくまで目標です。
その方向に進むことで、魂が成長していく道が 示されていると捉えられています。

ここで、解釈のベースとなる、近代神智学の見解を再確認しておきましょう。

近代神智学には、人間は魂を成長させることで、最終的に宇宙と一体化していくことを目指しているという思想が 根底にあります。

言い換えれば、今の人生は、魂を成長させる為の修行の場として捉えており、
これからも何度も何度も生まれ変わり、宇宙との一体化を目指していくということ。

確かに、現代のスピリチュアル思想の多くが、同じような解釈になっていると思われます。

近代神智学における輪廻転生の世界観が、この解釈を裏付けていることが見えてきます。

更に言い換えれば、今世はあくまで修行中なので、幸福というゴールに辿り着くには、まだまだ 何度も生まれ変わって成長していく必要が あるということ。

そして、目指しているゴールが、宇宙との一体化であるということ。

また、過去世からの業の流れは、捨て去るべき 好ましくない傾向性 というニュアンスも感じ取れます。
だから、過去世の業は、事前に知ることで 回避した方がいいと、避けるべき対象として 捉えられているように感じるのです。

色々違和感を感じます。

さて、近代神智学に取り込まれた輪廻転生の生死観は、仏教においては、真実の答えを導き出すまでの過程に過ぎず、当時の人々が信じていた 世界観に合わせた、仮の表現でありました。

仏教の真意では、今生きている人生で、幸福をつかむ為の生き方が説かれており、
未熟な人間として、人間のままで幸福になれる可能性が示されています。

魂を成長させ、高次元の世界との一体化を目指すという思想は、
やはり エヴァンゲリオンでいうところの 人類 補完計画そのものであり、
人間が、人間として生まれてきた意味を 失ってしまうものだと思えてなりません。

私たちが目指すべきゴールは、
宇宙生命と同一であるという 生命の真理を自覚した上で、
個の人間としての、自分だけの使命を果たすこと。
つまり、自分という自我を最大限に発揮させる生き方をすることではないでしょうか。