過去世からの業の試練は伏線と共に
今の私があるのは、過去の私の結果です。
人生に起きる、大きな転換期や障害も、過去世の業に原因があります。
どんな業を負っているかは、人それぞれ違います。もちろん 抱えている業は 一つではなく、幾つも抱えているし、その現れ方も、程度も様々です。
それでも、その人の人生において、特に大きな課題となる「業の試練」は訪れます。
これを占星術では 月のノードから読み解きます。
私たちは幾代もの過去世を生きてきましたが、その中でも特に心に大きな傷を残した時の記憶が、
強烈な感情として、心の中に刻まれていると思われます。
これが、ドラゴンテイルに隠されています。
現実の日常においても、ありきたりな数日前の出来事は忘れてしまうに違いありません。
でも何年も昔の、感情を大きく揺さぶられた時の記憶は、消えることがないでしょう。
もしかしたら、意識の私は、その記憶をかき消そうとするかもしれません。
だから思考上の記憶としては忘れていても、心の中にはトラウマとして残るはずです。
ドラゴンテイルの記憶は、このようなものでしょう。
過去世でつくった、強烈なトラウマです。
だからソウルリーディングでドラゴンテイルを読んだ場合、
その内容を拒否する人が少なからずいます。
客観的に見ていたら、間違えなくドラゴンテイルの示す業にぶつかっているのにも関わらず、
本人は、思い出したくないかのように、拒否する場合もあるようです。
もちろん心が弱っている時は、トラウマに向き合うことは簡単ではありません。
同じように、ドラゴンテイルの課題に向き合うのは、誰でも、いつでもいいとは限りません。
過去世の強い感情は、意識では覚えていなくても、無意識の自分は決して忘れていません。
それは、理由がわからない恐れや不安となって、度々意識下に現れます。
自身のドラゴンテイルの示す業を認めた時、いろいろなことが見えてきます。
恐らく、これまでの人生の中で、同じような失敗を繰り返し続けていることがあるはずです。
これこそは、過去世の業が原因となる、伏線です。
ドラゴンテイルの業は、幾代もの過去世で、何回も何回も失敗してきたものだと思われます。
ある時点で 業を積む・・!・でも、その業を乗り越えることができなければ、同じ失敗を繰り返します。
業を積み重ねるのです。
そして、次の人生では、さらに大きな業となって現れる・・・!でも、同じ失敗をして、もっと大きな業に膨らんでいくのでしょう。
業は、報いを受けて苦しい思いをすれば消えるものではありません。乗り越えるしかないのです。
だから、目の前に困難や障害が訪れても、その問題から逃げるのではなく、
自分の境涯をあげて、壁を越えるかのように、自分が成長していくしかないのだと思います。
こうして 幾代もの過去世で、何度も同じ失敗をしているから、ホロスコープにもはっきりと現れるのですね。
これは、今世で直面する業の試練は、これまでに一度も乗り越えられなかった壁であることがわかります。
いきなり目の前に、何度も失敗し、挫けてしまった障害が現れたら、
絶望してしまい、乗り越えようとなどしないでしょう。
目の前に、巨大な怪獣が突然現れたら、誰もが死を覚悟すると思います。
だから、業の伏線が現れます。
同じテーマで、頑張れば乗り越えられそうな課題が現れ、一時は失敗するでしょう。
でも努力して、なんとか問題をクリアします。
そして何年かした後に、形は変わっても、本質が変わらない 同じような課題が現れるはず。
こうして、少しずつ、少しずつ、導かれるように成長させられるのですね。
中には、問題が起きたら、逃げてしまう人もいるでしょう。
この場合は、同じレベルの 障害が起きるはず。
それでも逃げ続けていたら、この人はずっと業を乗り越えることができません。
何の成長もなく、与えられた課題をクリアすることなく、まるで落第するかのように、未来世に持ち越してしまう人も、少なくないと見ています。
業の伏線は、自分を鍛えてくれる為だけでもないようです。
過去世と同じような状況に追い込まれることで、過去世と 同じ感情を 思い出されます。
そして、「また同じ苦しみを 味わうことになるのか」という恐れが膨らみ、
その恐れが、より大きな試練を生み出してしまうのです。
でも、こうした体験の積み重ねが、自分の業を浮き彫りにしてくれます。
厳しい現実に目を逸らさずに、生命に 宿された 課題と向き合うことで、
自分にとっての課題は何なのか、自分の中の何をどのように変えていけば良いのかが、突然見える時が来るはずです。
これこそが、業を乗り越える鍵なのだと思います。
もしかしたら、この鍵を見つけた時点で、過去世からの業は 乗り越えているのかも しれませんね。
私も以前は、人生における困難は、避けられるものなら、避けた方がいいのかもと思った時期がありました。
占星術などを学んでいると、各々が抱えている業の課題も見えてくるし、業に直面する時期も読めるからです。
しかし、業の試練は、悪いものではないと思えるようになってきました。
むしろ、何か大切なものに導かれるために、あえて起こるべくして起きる試練なのだとわかったからです。
全ての人は、自分だけの為に生きるのではなく、他者の為に生きていく境涯になることを 目指していくのだと思います。
その為には、失敗することも大切です。苦しい思いをしないと、他者の苦しみはわかりません。
そして、自分が自分の課題を乗り越えていく体験を積まないと、業の試練に苦しんでいる他者を助けることなどできません。
人は、他者の代わりにはなれません。
自分の悩みや苦しみは、最終的には自分で乗り越えていくしかないのです。
そうであるならば、他者の為に生きるということは、自分が業を乗り越える、お手本を示していくことだと思います。
占星術だけでは、心の傾向性や、起こり得る課題は読めても、そこまでです。
未来に起こり得る問題や課題から逃げるのではなく、どう成長し、より強い自分に変わっていくかが大切です。
もちろん、自分が目指すべき方向、その人にしかできない、その人の使命という 人生の道を示してあげるのは 意義あること。
人は希望があり、目標があるからこそ、前に進めるのですから。
困難は成長のチャンスです。大変な時ほど、大きく飛躍できる、絶好の機会なのだと思います。
過去世の業は、人を苦しめ、不幸にするために起こるのではありません。
本当に大切なこと、自分が生まれてきた意味を思い出し、前に進むために現れる課題なのではないでしょうか?