過去世の業の本質☆無意識の私は知っている

過去世の業の本質☆無意識の私は知っている

私たち人間は、幾代もの過去世を生き、業を積んできています。
今、恵まれた環境にいられるのは、過去世に良い行いをした結果です。
様々な悩みや困難に直面するのは、多くの場合、過去世に悪い行いをした結果だと考えられます。

こうした生命観は、科学で完全に証明されたものではありません。
しかしソウルリーディングなどの結果を見る限り、因果の法則は成り立っており、過去世に原因があることで腑に落ちるのは疑いようのない事実。
自分自身を理解する為には、目に見えないものは関係ないとするか、目に見えないものも在ると捉えるかで、人生は大きく変わってくるはずです。

業には善業と悪業がありますが、人は都合の良いもので、
良い状態にはあまり有難みは感じなく、どうしても悪業ばかりに目が向きます。
なんで、こんなに苦しまなくてはならないのか?
なんで過去世から、そんな重いものを引き継いできているのかと。

ここで業の本質を理解しておかないと、業の試練は避けるべきものだと思ってしまいます。
または諦めるしかないと思う場合もあるでしょう。

私も以前は、未来が予測できて、あらかじめ、どんな業が起こるのか、いつ現れるのかがわかったら、
避けられるのではないかと思ったことがあります。
しかし、この捉え方は違うと思うようになりました。

例えば、誰かの目の前に、大きな崖があったとします。その人は崖に全く気が付いていません。
もし崖からまだ離れていたら、注意の声をかけるだけでいいでしょう。
しかし落ちる寸前だったら、体を使ってでも強引に止めるはず。

単純なようですが、業の本質もこれと同じです。

自分が本当に進むべき方向は、ほとんどの場合、わかっていません。
なぜなら人間には、エゴや欲があるので、目先の目的に進んでしまいがちだからです。

それを正しい方向に気が付かせてもらう為に、時には激しく導いてくれるもの。
それが業の本質だと思います。

業をつくってしまった過去世にも、そのまた過去世があります。ずっと先の先の過去世もあります。
これは業を負うことにも、何かしらの原因があることを意味します。
すなわち、私という個の生命が果たすべき使命の為に、必要があるからこそ業を負っているということ。

無意識の中には、意識の私が知らない世界があります。
過去世の私の記憶が知っていて、宇宙生命の私が当然知っていることでも、
意識の私は何もわかっていません。

だから人生の転機となるようなシーンでは、
まるで無意識の私が、意識の私に声をかけるかのように、進むべき方向に導いてくれるのだと思います。
その道から大きく外れていた場合は、強く働きかけてくれるに違いありません。
だから時として、望ましくない業の試練のように映ってしまうのでしょう。

こう考えていくと、業の試練とは、避けるべきものとして捉えるのは違うと思えてきました。

むしろ大切なのは、自分が進むべき方向、すなわち生命の使命に向かって、
確実に進んでいくことを促すこと。

自分の個性を知り、人間として生まれてきた目的に進んで、歩を進めていくこと。

その為には、ソウルリーディングを用いて、自らの過去世をイメージしてみたり、
星が示してくれる、自分の個性を客観的に理解、分析していくことに
大きな意味が生まれるのではないでしょうか。