大アルカナ12・吊し人 THE HANGED MAN

大アルカナ

大アルカナ12・吊し人 THE HANGED MAN

基本的な意味

現実に身動きが取れない状況の中、原因は自分の内にあった事を覚知する。

逆位置

まだ覚知に至っていない。
悩みや苦しみの原因を、自分以外のせいにしている。

生命のストーリー

人生の中では、誰もが様々な困難や試練にあいますね。
何かを悩み、目の前の壁を乗り越えていくから、人は成長をして強くなっていきます。
壁を越えた経験の持ち主は、目の前に少々の壁が現れても、前に進もうとする意志と行動力で、何度でも乗り越えていく事ができるのでしょう。

しかし時には、自分には絶対に越えられないと思うような壁にぶつかってしまう事があります。どう対処していいかわからない、現実的に何をする事もできない、まさに「吊し人」のように身動きが取れない状況に陥ってしまう事もあるかと思います。

運命に囚われてしまっているかのように、耐え難い苦しみ、絶望的な状況・・・これは、どんな時に起こるのでしょうか?

今の自分の身に起きている悩みの原因が、これまでの自分の言動にあったとしたら、まだ何かしらの対処ができるのではないかと思います。
では、全く身動きが取れないような状況とは、なぜ起こるのでしょう?そのほとんどは、過去世に自分が積んだ悪業、負のカルマが原因として起きる「宿業の試練」なのではないでしょうか?

これは、幾代もの過去世で、同じ試練にあってきて、超えられなかった壁だったのかもしれません。だから自分では何もできないと思う状況にまで落とされてしまうのでしょう。

業の試練は、不幸になる為に起こるのではないはずです。それを乗り越える事で、生命が成長し、真の幸福を掴む為に起こるはず。これは、乗り越えられない業はない事を示唆していますね。
それなのに動けない。何もできない。この吊された状況で、何を学ばなくてはならないのでしょうか?

現実世界の目に見える状況だけに目を向けていては、真実は決して見えないという事だと思います。
この吊されている人は、どうしようもない状況に追い込まれた時、それを誰かのせいにしていたかもしれません。自分を取り巻く環境のせいにしていたかもしれません。呪われた運命のように感じていたかもしれません。
でも本当は、自分の生命の中にある、自分自身の業と対峙しなければならなかったのだと思います。

全ての原因は、自分の外の何かにあるのではなく、自分の内にあったのです。

この人は、身動きの取れない状態に吊るされる事で、初めて自分の内にある原因に目を向ける事ができました。これは思考で辿り着いた答えではありません。むしろ思考では絶対に辿り着けない事だったから、こうして身を持って苦しい体験をし、心で「覚知」したのではないでしょうか・・・。

この吊し人の物語が動き始まるのは、もう少し先の話しかもしれません。
でも、自分が越えるべき壁の本質を覚知した、この人の顔には、笑顔が浮かんでいるようにも見えますね。

逆位置の読み方のポイント

「吊し人」は、正位置だろうが逆位置だろうが、身動きの取れない状況にあるのは変わりありません。
正位置は、苦しい体験を通して、思考だけではなく、心で悟った状態。
逆位置は、まだ悟れていない状態であると読みます。

どちらにしても、自分が辛く厳しい状況に置かれた場合、大抵は自分以外の何かのせいにすると思います。自分に目が向いていないから、真実が見えなかったのでしょう。

今の自分がこんなになっているのは、誰々が悪いんだ。この職場が悪いんだ。この家が悪い。運が悪かったんだ。私は悪くないのに・・・。というように・・・。
この精神状態である限り、残念ながら問題は解決しませんね。目の前の問題が一時的に解決したかのように見えても、また同じような問題が起きてくるのだと思います。
だから時間がかかっても「原因は自分の内にあるんだ」という事に気がついてもらうしかないですね。

実際の鑑定においては、もっと些細な状況でも、吊し人が出てくる事はあるかと思います。
本当は深い意味があるのかもしれませんが、言葉で説明しても、なかなか気がついてもらえないかもですね💦
さらっと「身動きが取れない状態ですね」とか「少しものの見方を変えてみましょう」と読む場合もありますが、リーディングした人の意識には留めておくといいと思います。いつか必ず「自分の内に原因があったんだ」と気がつき、自分を変えようと思う時が来るのを信じて、長い目で見守ってあげましょうね。

私の見解

吊し人の本来の意味は、絶対に許されない罪を犯した者が、罪を受ける為に吊るされたという物語から生まれています。吊るされた事により、体内から悪魔が出てきて、苦しみから解放されるというストーリーがモチーフになっています。

実際に、体内に悪魔が棲みつくような事はありませんよね😅
でも誰の心の中にも、悪魔と比喩される何かが存在しているのかも。それは何なのでしょうか?

こうして元となる物語から、その意味するところを考えていきました。
実際に、身動きが取れなくなるほどの状況とは何なんだろう?・・・と。
それは、まもなく自分の身を持って体験する事ができました。吊し人の犯した罪とは、過去世の業であり、それも自身の一凶とも言えるような、根源の業だと感じました。

そしてこの業は、恐らくは数え切れないほど多くの過去世で、乗り越えられなかった業だとも思いました。だから乗り越え方がわからないのです。現実に何もできない、まさに身動きが取れなくなるような試練を、私も体験する事になりました。
それまでの私は、自身の状況を、誰かのせいにしてみたり、周りの環境を恨んだり、一時は占いに依存し、運命のせいにしていた時期もありました。
でもある日、全ての原因は私の中にあり、私が業と対峙しながら、それを乗り越えていくしかないと気がつきました。その時に出てきたカードが、まさに吊し人の正位置だったのです。

振り返ると、以前にも吊し人が出た時はたくさんあります。全てを完璧に覚えている訳ではありませんが、思いつくところはありました。

過去世の業は、いきなりバーンと現れるわけではありません。実際は、まるで伏線が貼られているかのように、少しずつ、少しずつ現れてくるようです。
実際に、程度が違うだけの話で、同じような悩みを何度も体験し、同じようなパターンに陥っていた自分に気がつきました。程度が軽いと一旦は解決したかのように思うのですが、また違う形で、違う人脈で、同じような悩みが起こるのです。そして毎回のように、身動きが取れなくなり、諦めてきた繰り返しだったと気がつきました。
きっとこれまでも、吊し人のカードが教えてくれていたのかもしれません。

人の心の中に棲む悪魔とは、真実に近づこうとする心を妨害する心。間違ったものを信じ込ませるように働く心。だから本質的な原因がわからなくなり、自分の外に、自分が不幸になる原因があると思い込んでしまうのだと思います。

「吊し人」が吊るされている状態である限り、まだ問題を解決する為の行動を移す事はできません。しかし、辛い体験を通して、やっと辿り着けた真実への道は、もはや闇に包まれる事はないでしょう。

人生における困難や試練は、真の幸福に向かう為に、避けては通れない必要なプロセスなのかもしれませんね。それを教えてくれるのが、吊し人のカードです。