ウェイト版タロットと見えない世界
現在から遠い昔は、まだ科学も発展していなく、大自然の厳しさにさらされながら、この世界には人間の力が及ばない事ばかりだと、現在とは比べものにならないほど、人の力の無さを実感していた時代が続いていたのではないかと想像します。
この世界は、人智の及ばない、未知の力に支配されている・・・そう感じても不思議ではありません。
そして人々は、人間の手に届かない存在を、神と名付けました。天使や悪魔などと名付けました。
神が人間を創ったのではなく、人間が神をイマジネーションの世界で創ったのです。
大自然と溶け込むように生活をしていた時代。夜空の星と星を繋げ、星座を描きました。そして星々に希望を抱き、星々と対話をしながら生きていました。
人間はどこから生まれ、どこに帰っていくのか?人は何の為に生きているのか?
人生にはなぜ生老病死の苦しみがあるのか?この世界の真実とは何なんだろう?
科学の発展していない時代においては、思想に頼るしかありませんでした。
現代は、科学の発展と共に、様々な真実が明らかになってきました。
時には信じていた思想や、心に描いたイメージが、科学に否定されてしまう事もありました。
そうした中、自由なイメージを描くことには、少なからず制限がかかってしまったのかもしれません。
ウィエト版タロットの魅力と新しい視点からの解釈
ウェイト版タロットは、近代科学が生まれる前の思想、歴史の集大成の言って良いかもしれません。
人間の心や人生をうまく表現し、ひとつの完成された物語として、学ぶべき事がたくさんあります。
タロットはリーディングに使うだけではなく、カードに秘められた意味を学んだり、ベースとなる物語を知るだけで、人間が真実に迫ろうとしていた時代の叡智を深く感じる事ができます。
目に見えない世界を表現するにあたり、人間が意識できる「言葉」で表現をする必要がありました。
現代の科学のように、目に見えない世界の実相を正しく表現しようとすればするほど、一般にはない「概念」も必要になり、正確に話そうと思えば思うほど、理解の範疇を超えてしまいます。
真実は知る事が目的ではなく、それをどう現実の世界で活かしていくかが必要です。どのように多くの人に共通の概念として伝えていくかが大切です。
そこで昔の人々は、自然な心の働きとして、真実を「擬人化」して表現するしかなかったのではないでしょうか?
人間には決して届かない大いなる力を「天使」や「悪魔」のように表現し、他の生物に、ある力を象徴させ、誰もが理解できるような表現を求めたのだと思います。
しかし、言葉は言葉として伝わるので、この世界は人間と似た姿をした「神」が創ったかのように伝わり、人の人生は、神に創られた運命のように理解されるようになってきました。
もちろんウィエト版タロットにも、こうした表現がそのまま残っているのです。
だから元々の意味を「言葉」として捉え、それをそのまま解釈に充てると、どこかに違和感が生じるのです。
その違和感を、このように捉えました。
タロットで表現されている天使や悪魔を、人間の「外」にあるものと捉えてしまう事で、私達の運命は、大いなる力に創られ、支配されているように感じてしまいます。
その言葉を聞く事で、運命は変えられないもの、流れに乗っていくものと捉えてしまう傾向が生まれるます。結果的に、目に見えない何かに依存してしまう事になりかねません。
しかし、これら天使や悪魔のように表現されていたものが、全て人間の「内」にある、自分の生命の働きなのだと捉えた時、未来は、自分が成長して変わっていく事で、自分で創っていく事ができるという考え方に転換します。
自分の今を自分でどう変えるかという発想になり、ここに「主体性」が生まれます。
このサイトは、こうしたウェイト版タロットの新しい解釈の一例を紹介するだけに過ぎません。
もちろん、これまでの解釈を否定するものではなく、学べば学ぶほど、人間の生み出してきた歴史の叡智に感服すると共に、これからの風の時代には、自由で新しいイメージの元、真理への探求がますます進んでいく事を期待しています。