目に見えない世界を考察する②
この記事は、「目に見えない世界を考察する①」のつづきです。
理論的考察の基本
ものごとを考察するにあたり、思考の上で正しいか間違えているかを判断していく基準を考えてみましょう。
目に見えない世界は、確実な「答え」を出せるものではありません。だから、正解を追求することも大切ですが、不正解を外していくという発想も大切になります。
一般的な推論の方法として、演繹法と帰納法があります。これは真逆なアプローチで答えを求めることで、その接点を見出していく方法と言ってもよいでしょう。
帰納法の典型が、科学的アプローチです。
目に見えない世界は、科学で全てを解明することは、まず不可能と考えて良いでしょう。
それでも、観察や実験を繰り返し、確実に正しいと証明されているものは「正しい」と捉えるべきです。むしろ科学的に否定されてしまったものは、正しくないと考えるべきです。
数世紀前までは、絶対的な創造神が、この世界や、私たち人間を創ってきたと信じられていました。運命は神によって定められたものであり、人間の力では変えられないものと考えられていたのです。
占星術にまつわる話では、昔は地球の周りを太陽や、その他の星が回っているものと考えられていました。いわゆる地動説です。コペルニクスが天動説を考え、ガリレオが天体望遠鏡で天動説を証明しても、当時の世には受け入れられなかったのです。
また古代インドから続く、輪廻転生の思想も、西洋には受け入れられませんでした。
その後、科学を始めとする文明が大きな進化を遂げたのは、「科学的に正しくないものは、正しくないんだ」という、当たり前のような事が、当たり前になったからだと思います。
人類の「思考」に大転換が起きたと捉えて良いでしょう。
次に、演繹法の典型が宗教です。
宗教は「教え」を信じるところから始まります。
この世界の誕生の仕組みや、人間の生命は、目に見えないので、証明する事ができません。
そもそも「信じる」事も、人間だけの大きな性質であり特権です。
そして、その「教え」を「大前提」に置き、世の中の全てを捉えていきます。これが演繹的な考え方です。
演繹法のメリットは、帰納法的なアプローチでは絶対に出せないものまで答えを出せる事です。答えを導くものではなく、先に答えを出してしまうのです。
演繹法の最大のデメリットは、「大前提」となるものが間違えていたら、全てが崩れるかのように意味がないものになってしまう事です。
従って、目に見えない世界などは、演繹的アプローチと、帰納的アプローチを同時に進めていき、合致したものを正しいと捉えていく事が大切です。
例えば、輪廻転生=人の生まれ変わりなどは、数千年も前から信じられていた思想です。
そして最先端の科学で、人間には前世がある事が次第に証明されてきています。量子論でも「理論的にはあり得る」とされています。
こうして、演繹的思考と、帰納的思考が合致してきているものが、「正しいであろう」と捉える事ができるのです。
最先端の量子力学などでも、目に見えない世界の事は「仮説の理論」から始まります。演繹の「大前提」に設定するのです。そしてこの「仮説」を実験や観察、計算などで「証明」していくのです。
「多元宇宙統合生命論」は、あくまで科学者でも哲学者でもない素人が考えた考察理論に過ぎません。
しかし、伝統的な思想と、近代科学の両極から追求し、道理や合理で判断した、根拠のある「考察理論です。
もちろん私達が生きている間に全ての「答え」が出るはずがないと思っています。
それでも、目に見えない世界、特に「生命」の探究を進めることには、深い意義を感じます。