過去世の記憶と今世での意義☆蟹座・山羊座

12星座-生命の物語

過去世の記憶と今世での意義☆蟹座・山羊座

私たち人間は、幾代もの過去世を 輪廻転生して 生まれてきたと考えられます。
もちろん過去世のはっきりとした記憶がある人は、ほぼいないと思いますが、
無意識の中には、その時の感情が記憶の形として残っているようですね。

過去世の記憶は、明るいものばかりではありません。
むしろ 何かを達成できなかったり、失ってしまったような 負の記憶の方が 強いかもしれません。

だから、自分ではわからない恐れや不安に振り回されるかのように、
まるで大いなる力が働いているかのように感じながら、
過去世と同じ失敗を 繰り返してしまったりするのでしょう。

占星術などを学ぶと、こうした自分の傾向性や、過去世の人生までもが浮かんできます。
そして、過去世からの業の試練にあう時は、まるで見えない力が サポートしてくれるエネルギーも 同時に来ていることが多いです。

反対に、人生が大きく開かれる時には、成長を促す 試練や課題も、同時に来ることが多いでしょう。

ここで、過去世で失敗したやり方や、執着していたようなものは、
今世では手放すべきなのでしょうか?

占星術においては、月のドラゴンテイルに過去世が現れていると読みます。

もちろん過去世といっても、ひとつ前の「前世」という意味ではありません。
数多い過去世の中でも、特別深い心の傷を負った時の、強烈な記憶が ドラゴンテイルに現れていると読みます。

今の人生でも、何気ない日常の、数日前のことは、あまり覚えていないと思います。
それよりも、大きな喜びがあった時のこと、そして大きな絶望を感じた時のことの方が 深く記憶に残っているのと同じなのではないでしょうか。

ドラゴンテイルの星座は、その過去世での個性を示します。
どんな性質にも言えることですが、個性には良い面と悪い面が、裏返しのようにあります。
経験が浅いうちは、その個性の良い面が出やすいですが、経験を積むごとに悪い面が強調されるように思います。
だから、個性の悪い面が原因となる、負の結果が生まれるのでしょう。

そして今世では、ドラゴンヘッドの課題を与えられることになります。
ドラゴンヘッドは、ドラゴンテイルの180度対極になります。これは、星座もホロスコープ上の対極になることを意味します。

みんなが自分の星座と思っている太陽の星座も同じです。
太陽の対極の星座は、数多くの過去世でたくさん体験した星座と読めます。
偏り過ぎた傾向性を矯正するかのように、今世では真逆のテーマに生きることになるのです。

例えば、かに座の対極は、やぎ座です。
かに座は家族を大切にする性質が強いのに対し、やぎ座は社会に出て活躍することがテーマです。

過去世でかに座の性質が強かった人は、自分の命のように、家族を大切にした人たちです。
家族を守ることが自分を守ること。しかし、これが行き過ぎると、家族に守ってもらうのが当たり前という依存心が強くなります。
家族には、飾らぬ感情を見せられますが、行き過ぎると、自分勝手な欲をそのままぶつけてしまうでしょう。
こうして、家族を大切に思うあまり、何よりも大切な家族を失うという、大きな傷を負った物語が見えてきます。

だから今世では、社会に出て、本当の自分を押し殺しながらも、社会で活躍していくという使命を持つのです。
この時、過去世からの業である、家族が足を引っ張ることもあるでしょう。
家族を取るか、社会を取るか、みたいな選択を迫られるかもしれません。

他の星座も同じです。大切にしているものが違うだけで、同じように対極になるものとの試練を感じながら、今世に与えられた使命の道に向かうはずです。

ここでポイントは、過去世での失敗体験は、業となって現れるということ。
前の例でいえば、過去世がかに座、今世がやぎ座のテーマに生きる場合、家族に関することで業が起こる傾向にあるでしょう。

社会で活躍するために、家族が邪魔になってきたら、家族を手放せばいいのでしょうか?
そんなことは決してありません。
確かに今世では、社会で多くの人に認められることが、最大の喜びなのかもしれません。

しかし過去世の自分は、何よりも家族を大切にしていたに関わらず、家族に関することで、輪廻を超えて引きずるほどの 心の傷を負ったはず。その傷を、今世で上乗せしてしまったら意味ないですね。

結局は、かに座とやぎ座のテーマは、安定した感情を手にすること。
やぎ座さんにも、家族をすごく大切に思う心があるということです。
社会に出ることで、家族に依存することもなくなり、
家族という 帰る場所を得て、社会でも、不要な欲に執着することなく、
どこにいても自分らしく生きていけたら最高ですね。

もちろん他の星座も、テーマが違うだけで、進むべき方向は同じです。
過去世からの業を繰り返して、傷を深めるのではなく、
乗り越えていくからこそ、真に大切なものが、幾つも掴める人生を送れるのではないでしょうか?